本日 903 人 - 昨日 1161 人 - 累計 702812 人
RSS

私は日本に済んだことがあります。(パート2)

皆さん、

おはようございます。

タオです。

今日は引き続き、私が日本に住み始めた最初の年のことを話します。

前編で、茨城での1ヶ月間の研修が終わるとお話しましたね。

北海道の新居に着いて、思っていたのと全然違って本当に驚きました。 

北海道の中心部からはかなり離れた。

札幌市から車で約6時間で「知床」という所です。【世界の終わり】も呼ばれるし、すごくない?

調べたところによると、ここはロシア国境に近い国立公園です。

ということでベトナムからも日本の中心部からもとても離れたところにあるそうです。 私はベトナムのかなり大きな都市で生まれたで、こことは全く違うからあの時は私は本当にショックでしたよ。

unnamed (2)

日本地図上の知床の位置です。

Shiretoko-national-park-2

知床国立公園


でも、どんなにショックでも、これは始まりに過ぎない、「大丈夫だ」と自分を励ますしかありません。

私の【世界の終わり】での生活はそこから始まりました。

それから私は最初の喜びを見つけた, それは生まれて初めて雪を見ました.

ある10月の朝、目が覚めると雪が降り始めていたことを今でも覚えています。そのときの興奮は決して忘れないよ、後になって雪は嫌いになりましたが(笑)

z5237353522259_f404b0a053115743c2b95c9747dcdd3e z5241311663787_bd43f9020f4918ddbfecd730b4781303

初めて見た雪の写真です。


私が住んでいた場所はとてもの静かな町で、スーパーとコンビニしかなくて、退屈な場所だと言えます。 キツネが道を走っているのをよく見かけますが、昔はここでクマが逃げて人を殺したそうです。

さらに 私のグループ3人がここに来た最初のベトナム人3人だってたんです。

日本中の友達から自分の住んでいる場所や賑やかな街の自慢をいつも聞かされますが、「寒くないの?」「なんでそんな場所に住められるの?」という質問はいつも聞かれましたのに。

良かったのは、最初は退屈だったけど、だんだんとあの小町に慣れてきて、好きになって、第二の故郷になったような気がしたんです。

z5241311640679_b7651e9128bc3a58d732b46e152e1492

私が住んでいた町の伝統的な祭りのパレードに参加した写真です。

おそらくそこで私がたくさんの良い人たちに出会ったからでしょうか、その中には私がいつもとても感謝している一人の人がいます。彼女は日本人で、私はいつも彼女のことを「お母さん」と呼んでいます。

もし彼女の励ましと、自分の娘のように私を愛し、気遣ってくれなかったら、おそらく私は諦めて早々に国に帰ろうと思っていた。

本当に感謝の気持ちです。

私の次にショックたのは日本語でした。

というのは、ベトナムで日本語を勉強したときは全く違っていて、例えば文章の中で日本語を話すときのルールなど、つまり、常にルールが存在するということを本で学びました。

その後、私たちが茨城で1か月間研修したとき、先生たちはいつもゆっくりと本のように話してくれたので、私たちは聞き取りやすく、理解することができました。

でも今回は違いました。これは現実の生活だったからです。誰も私にゆっくり話してくれず、彼らは現地の言葉を使っていましたが、私は何も理解できませんでした。

新しい仕事や新しい生活環境に慣れ始め、周りの人の言うことをがんばってきかないと、分からないと。本当にストレスでした。

でも約2ヶ月間、周りの日本人と話したり勉強したりしてみた結果、徐々に私の日本語の聞き取りもネイティブのように話せるようになり、慣れてきました。

あの小さな町の空気と寒さと平和に慣れたのと同じように。

それでは今日はパート2をここで終わりにしたいと思います。次のパートでは、私がベトナムに戻って暮らす理由についてお話したいと思います。 

皆様も引き続き応援よろしくお願いします。

ここまで読んでいただきありがとうございました。


コメント
name.. :記憶

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):