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向こう側の壁にぼうしを捨てよう。

私の実家は田舎です。子供の時ベトナムはまだ戦後の影響がありました。1992年ごろと思います。
白いお米を食べれるのは夢の中のじだいでした。でもとても楽しかったです。

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時々父はサイゴンに行って帰りました。プレゼントは古い本1冊です。本のプレゼントは田舎では高級プレゼントでした。

大学までどうしても行きたい私はその時の父の古い本のプレゼントのおかげだと思います。

今でも覚えている本は向こう側の壁にぼうしを捨てよう という絵本。

 話は TOM君は近所の家の向こうに行きたいです。ですが壁が高くてとうげが多い壁です。どうしても超えられないときにおじいさんがでました。

おじいさんはTOM君に向こう側に超えたければまずぼしを向こう側に捨てなさい。

TOM君は貴重なぼしを捨てたくないが向こう側にどうしても行きたいからまずはぼうしを捨てた。そうして貴重なぼしをとるため向こう側にいけるためTOM君は出来る限りに上りました。

TOM君は痛くて苦しかったがやっと壁が超えられました。


その話はとても印象でした。今までいつもぼうしを捨てて超えられた事がおおいです。

やはり正しいと思います。

日本語を勉強したとき私の壁は田舎出身の事でした。その時日本語を勉強している学生は少なくてもし何か日本人と関係があるとか高校で少し日本語を勉強したので大学で続けたい人ではないと日本語学科を選びません。

私の田舎は日本語というのはまったく聞いたことがありません。

HONDA、AJINOMOTOぐらいです。

ですからクラスの中に私だけあまり日本語できなかった。自分は最初からのあいうえおを勉強しているうちにクラスメートはほとんど通常会話できています。

1年生の時走っても走っても5点でした。今まで田舎でいつも学校でクラス長で10点で学校一番優秀の地位だったのに。本当に苦しかった。

自分は日本語というのはあまり才能がないかなと思いました。

やめて他の学科に選んだほうが楽と何回も思ったが

あの日ホーチミン市内の日本語スピーチコンテストがあって見にいきました。

いろんな大学の人が発表しています。
見る間に私もとても興奮になって来年イェンはこのスピーチの台に立って発表すると頭の中に思いました。

そして次の年私はスピーチコンテストを申し込みました。

まだ2年生だから誰も出ていない。私の大学は5人申し込んでいました。4年生と5年生のお姉さんたちでした。

スピーチコンテストを出るために発音の勉強をしないと。それで先生を頼みました。

ベトナム人の先生は:イェンの発音は無理だと思います。田舎ベンだからやめたほうがいい。合格しないと思いますと断れました。

その時私は何も考えなくて日本人の先生に頼むしかないと思いました。

日本人の先生は:イェンはイェンで頑張りましょうとのことでした。

わあああ!とても嬉しかったです。毎週2回日本人の先生のところに行って発音の練習しました。

練習してから学校行く道中、サワを浴びる中、選択中、どこにも一人で練習しました。

結果:70人の中に15人を選べます。私がいます。

賞を取るのは来年だとおもいました。今回はスピーチコンテストの台に立って発表する事を目標だからと思って嬉しく堂々と発表しました。

Hinh scane 25-04-2005.jpg

私のテマは:笑う事

発表する時笑う声をよく聞こえました。

わあああ!最高、みんな笑いました。
その記念だったです。

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