皆さん、
おはようございます。
タオです。
今日は、日本で生活のことについて書き続けたいと思います。
私にとって日本はとても美しい国で、同じ国の出身ではないのに、私を愛してくれるたくさんの良い人たちに出会えました。
そして特に北海道は、どうしてこんなに寒く辺鄙な場所に住めるのかとよく聞かれますが、私にとって北海道は常に心の中で最も特別な場所です。 孤独ですが、とても平和です。 それでも私はベトナムに戻ることにしました。
北海道のほとんどの有名な場所に行くことができて幸運だと思います。
しかし、日本はとても平和で、日本人は個人のプライバシーの尊重を大切にするためか、時々疎遠に感じることもあり、ベトナムにいる家族に会いたいと思うことも多く、ちょうどコロナの流行期に帰国することにしました。 コロナ禍での帰国は本当に大変で、お金があっても航空券が買えず、飛行機も3回キャンセルになった。 とても落ち込んでベトナムに戻るのを諦めようかと思いましたが、幸運にも1ヶ月以上待って、通常の3倍の費用だけで帰国することができました。
ベトナムに帰って少し残念に思うのは、以前に比べて自分の日本語がだいぶ忘れちゃったと思うことですが、ベトナムに戻るという決断を後悔したことは一度もありません。たまに日本が恋しいけどね。
日本に美しい思い出をありがとう、ここまで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。 日本に住んでいた頃のことを書くのはおそらくこれが最初で最後と思います。
次回はもっと明るい話題を書きます
またよろしくお願いいたします。
皆さん、
お久しぶりですね
タオです。
最近はツアーにお客様を連れていくことが多くて、ブログを書く時間がありませんでした。 でも、先週末にお客様を連れてとても興味深い現地ツアーを行ってきたので、今日は事務所で時間があるので、それを書いて皆さんに紹介したいと思います。
今日の紹介したいツアーはマングローブの森(カンザー)と言います。
カンザーはホーチミン市の小さな地区で、ホーチミンから約 1 時間の距離にあります。
陸生および水生の動植物の体系のおかげで、非常に独特の美しさを持っています。 ここは週末に理想的な場所で、都会の喧騒から離れて新鮮で涼しい空気を楽しめます。
その日私たちはホーチミンで9時に出発し、約30分後にフェリーターミナルに到着し、フェリーで川を渡りました。
日本ではこのようなフェリーは見たことも乗った事なかったし、お客様もバイクや車がフェリーに乗ってくるのを見てびっくりした。 それは日本では変かなぁ?
カンザーの「ヴァムサット」と言うマングローブ生物圏保護区の総面積は 75,740 ヘクタールです。 2000 年 2 月 21 日、ユネスコはこの場所を世界生物圏保護区として承認しました。
川を渡って1時間ほど走るとマングローブ林に到着、お客様は興奮でした「日本では沖縄にしかマングローブ林がないみたい」と教えた。
次は「芸術的コウモリ保護区」ヴァムサットの野生生物を探索して探索したい観光客にとって興味深いアトラクションの1つです。
物音がすると叫び声を上げて森の中を飛び回ります。
したがって、ここに移動するときは、静かにしていなければなりません。 これはコウモリの中で最大の種で、果物だけを食べ、一般的なイエコウモリのように昆虫は食べません。
そして私とお客様に最も嬉しい驚きを与えた場所は「ワニ釣り」でした。 檻のような形をしたボートに乗って湖の真ん中へワニ釣りに出かけます。 ワニが餌を噛むと、お客さんからは恐怖の叫び声が上がりましたが、本当に面白い体験でした。
車に戻る途中、「タンボンタワー」という高い塔に登りました。頂上まで登ると、猿が餌を欲しがっているようで後を追ってきました。パンをあげたが、彼は家族全員にかけて食べ物を乞いました(笑)
カンザーには海があるので、最終目的地は地元のシーフードマーケットです。
ベトナム人は料理にはいろんな味が含まれているはずなので、ベトナムのシーフードの調理方法は非常に多様です。 なので、お客様を外食に連れて行くと、日本人は味気ないものを食べ慣れているせいか、辛くて辛いとかなり恥ずかしがりますが、食べた後はすごく褒めて完食してくださいました。日本のお客様はベトナム料理が好きなので私はとても嬉しいです。
それから私たちは車に乗ってホーチミン市に戻り、興味深い郊外ツアー終了しました。
当日のスケジュール
9:00 ホテル送迎
9:30 フェリーに乗ってカンザー地区へ
10:30 手漕ぎボートでマングローブの森にあるコウモリの棲み処へ
カンザーで体験!ベトナム名物「ワニ釣り」!
13:00 昼食(ベトナム料理)
14:30 天日干しの「塩田」を見学(季節により見れない可能性あり)
17:00 ホテル到着後解散
所要時間 8時間
9:00~17:00
0歳~4歳:無料 5歳以上:通常料金
※表示の日本円は目安となります。
※食事は自己負担となります。
料金:2,300,000 VND/1人様
約 14,030 円
ツアーガイド:タオ (28歳)
皆様の現地ツアーの相棒となることを楽しみにしています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
またよろしくお願いいたします。
皆さん、
おはようございます。
タオです。
今日は引き続き、私が日本に住み始めた最初の年のことを話します。
前編で、茨城での1ヶ月間の研修が終わるとお話しましたね。
北海道の新居に着いて、思っていたのと全然違って本当に驚きました。
北海道の中心部からはかなり離れた。
札幌市から車で約6時間で「知床」という所です。【世界の終わり】も呼ばれるし、すごくない?
調べたところによると、ここはロシア国境に近い国立公園です。
ということでベトナムからも日本の中心部からもとても離れたところにあるそうです。 私はベトナムのかなり大きな都市で生まれたで、こことは全く違うからあの時は私は本当にショックでしたよ。
日本地図上の知床の位置です。
知床国立公園
でも、どんなにショックでも、これは始まりに過ぎない、「大丈夫だ」と自分を励ますしかありません。
私の【世界の終わり】での生活はそこから始まりました。
それから私は最初の喜びを見つけた, それは生まれて初めて雪を見ました.
ある10月の朝、目が覚めると雪が降り始めていたことを今でも覚えています。そのときの興奮は決して忘れないよ、後になって雪は嫌いになりましたが(笑)
初めて見た雪の写真です。
私が住んでいた場所はとてもの静かな町で、スーパーとコンビニしかなくて、退屈な場所だと言えます。 キツネが道を走っているのをよく見かけますが、昔はここでクマが逃げて人を殺したそうです。
さらに 私のグループ3人がここに来た最初のベトナム人3人だってたんです。
日本中の友達から自分の住んでいる場所や賑やかな街の自慢をいつも聞かされますが、「寒くないの?」「なんでそんな場所に住められるの?」という質問はいつも聞かれましたのに。
良かったのは、最初は退屈だったけど、だんだんとあの小町に慣れてきて、好きになって、第二の故郷になったような気がしたんです。
私が住んでいた町の伝統的な祭りのパレードに参加した写真です。
おそらくそこで私がたくさんの良い人たちに出会ったからでしょうか、その中には私がいつもとても感謝している一人の人がいます。彼女は日本人で、私はいつも彼女のことを「お母さん」と呼んでいます。
もし彼女の励ましと、自分の娘のように私を愛し、気遣ってくれなかったら、おそらく私は諦めて早々に国に帰ろうと思っていた。
本当に感謝の気持ちです。
私の次にショックたのは日本語でした。
というのは、ベトナムで日本語を勉強したときは全く違っていて、例えば文章の中で日本語を話すときのルールなど、つまり、常にルールが存在するということを本で学びました。
その後、私たちが茨城で1か月間研修したとき、先生たちはいつもゆっくりと本のように話してくれたので、私たちは聞き取りやすく、理解することができました。
でも今回は違いました。これは現実の生活だったからです。誰も私にゆっくり話してくれず、彼らは現地の言葉を使っていましたが、私は何も理解できませんでした。
新しい仕事や新しい生活環境に慣れ始め、周りの人の言うことをがんばってきかないと、分からないと。本当にストレスでした。
でも約2ヶ月間、周りの日本人と話したり勉強したりしてみた結果、徐々に私の日本語の聞き取りもネイティブのように話せるようになり、慣れてきました。
あの小さな町の空気と寒さと平和に慣れたのと同じように。
それでは今日はパート2をここで終わりにしたいと思います。次のパートでは、私がベトナムに戻って暮らす理由についてお話したいと思います。
皆様も引き続き応援よろしくお願いします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
皆さん、
おはようございます
タオです。
なぜ私が日本語を知っていて日本に住んでいるのか不思議に思う人もいるでしょう?ということで今日は私が日本に来ようと思った理由を皆さんに話したいと思います。
2015年の年末、18歳の頃、ベトナムの大学受験に落ちて少し悲しかったのですが、「外国に行ってみたい」と子供心に思いました。誰も私のことを知らない場所に行って、もう一度やり直したかったです。
それから私は技能実習生として日本に行くために登録してて、1年半ぐらいベトナムで日本語の学校で日本語を勉強しました。最初は本当に難しく何回も「辞めろうかなー」と思ったんですけど、諦めなかった。だんだん日本語を気になってやっと日本語ちょっと上手くなった、よかったですよ。
7月2016日本行きの飛行機に乗って新しい旅を始めました。
これは私が日本に到着した最初の日の写真です。
その日は雨の日だった。今でもこの写真を見るたびに懐かしかった気持ちになります。
規定によれば、私は日本での生活を始めるために私を採用してくれた会社に戻る前に、茨城県でマナーについて学ぶために1か月間与えられます。
中国、インドネシア、マレーシア、タイ、モンゴル、フィリピンなど世界各国から来た友達と寮に泊まることができて本当に楽しかったです。
私たちが初めて一緒に食事をしたときの写真
私たちはマナーとかゴミの捨て方、車の運転、歩き方など日本での生活方法を学び、さらには茶道についても学びました。
私の茶道教室の写真
私たちは毎日、前日の午後に市場に行くためのお金を与えられ、その後、一緒に料理をするために朝6時に起きなければなりませんでした。正午に学校に行き、夕方には掃除をしなければならなかった。たまに疲れたんですけど、新しい友達ができ、同じ国じゃなくても、一緒に日本語を学ぶことは本当に素晴らしい経験でした。
週末には一緒にスーパーに行ったり、ピクニックをしたりしました。
当時住んでいた地域の伝統的な祭りにも参加する機会があった。
1ヶ月直ぐ終わり、別れを告げなければならず、みんなとても悲しんでいましたが、しょうがなかったね。でも、当時のクラスメートの何人かとは今でも連絡を取り合っています。私と同じように帰国した人もいれば、まだ日本に残って働くことを選択している人もいますが、幸いなことに、彼らは全員健康です。
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございましたね。
次回は、北海道で暮らし始めた頃の話をしたいと思います。 皆さんも気に入って、読み続けていただければ幸いです。
皆さん、
おはようございます
またタオです
普段、朝食はめんどくさいと思ったからあまり食べないのですが、時間が経つとお腹が痛くなってきたので、朝ごはんを食べられるようになりました。
皆さん、私のようにならないように、時間通りに朝食を食べることを忘れないでくださいね
今朝はバイクタクシーで出勤しました、日本では車しかありませんが、ベトナムなのでバイクタクシーが便利でとても人気です。
今日の仕事を終えてまだ早いので朝食を食べに行くことに行って、朝は水と一緒に食べると飲み込みやすいのでフォーにしました。
これは私のお気に入りのフォーレストランの 1 つで、伝統的なフォーレストランです。
「PHO 76」という店。住所は「76 NGUYEN VAN DAU,ビンタイン区」にあります。
特にここにはとても美味しくて脂っこい豆乳があります。
実際、私もこの牛乳のためににここに来ましたそしてフォーは本当にとても美味しいです。
ベトナム人はとてもフレンドリーです。
お客様から、外国人向けの大きな店ではなく、地元のフォーを売っている店を紹介してほしいという質問をよく受けます。その店は定番の味ではないかもしれないからです。
ということで、今日からは地元のお店を皆さんにご紹介したいと思います。今後の記事で少しずつご紹介していきますので、皆さん楽しみにお待ちください。